●茅葺きの魅力●

「茅葺きのいいところは何ですか?」

とよくご質問をお受けいたします。そのご質問に的確にお答えするには、
「ピカソの絵はどこがいいのですか?」という質問にお答えするぐらい難しいことです。
「茅葺きのいいところは何ですか?」とご質問を受けた時、「あなたのヘアースタイルの
いいところは何ですか?」とこちらが質問をお返しいたします。
ほとんどの方が答えに困られます。「ん〜 このヘアースタイルが一番気に入ってるからかな?」
 
 「茅葺きのいいところは何ですか?」質問をされた方は、「夏涼しいことです。」
など、実利的な答えを期待されているようです。現代の住宅は機能性を最も重視している
ことに原因があります。
先ほどの「ヘアースタイル」を例にすれば、「安い」という価値基準が絶対的なら、
世の中の人は皆丸坊主のはずです。しかし、世の中にはさまざまなヘアースタイルがあり、
お金をかけてパーマをかける人もいます。
「ヘアースタイル」は、その人の「好み、習慣、思想、考え方」を表現しているといえます。
実は、住宅に対しても、その時代の「好み、習慣、思想、考え方」を表しているのです。
特に昔の日本人は、機能性よりも、「好み、習慣、思想、考え方」を住宅づくりに重視し、
そこから茅葺きが発展してきたのです。
「昔は茅葺きがたくさんあり、今は減少した。」そのことは、日本人の「好み、習慣、思想、考え方」が変わった、といえるでしょう。
ヨーロッパは今、茅葺ブームです。それも、ヨーロッパ人の「好み、習慣、思想、考え方」が変化したと言えるでしょう。
学者は、「昔は輸送手段がなく、近くの草で屋根を葺くしかなった」と言います。しかし、それだけの理由ではありません。
茅葺きの歴史は古く、伊勢神宮は1300年茅葺きです。その長くはぐくんできた日本人の「好み、習慣、思想、考え方」が茅葺きには表現されています。
特に自然観、自然との向き合い方、は現代の日本人に警笛を鳴らしています。

●茅葺きは最もエコな屋根です。

茅は、唯一製造段階でCO2を排出いたしません。逆に成長中に吸収しています。
近隣で調達すれば、輸送の際の車の燃料から発生するCO2も最小限に抑えます。
他の屋根材、鉄、瓦は製造段階で熱を必要とし、石油燃料を燃やし、CO2を排出しています。
輸送の際も海外から輸入されるものも多く、CO2を排出しています。
そして、「茅葺きの屋根を葺く」ことは、すなわち「吸収したCO2を固定化」していると言えます。
廃材となっても、全く無害で、土にかえります。燃やしてもCO2の排出量はゼロです。 (カーボンニュートラル)
ヨーロッパでは、ススキや麦わらは、同じ理由から火力発電所の燃料になっているくらいです。

●茅葺きは夏涼しい
 
茅葺きは、夏涼しく冷房を必要としません。
その点でも地球温暖化抑止に貢献しています。
茅葺きの上に、トタンをかぶせたお宅の家では、台所に置いたゴハンがすぐにカビが生えるようになったそうです。
トタンをかぶせる前はそのようなことはなかったそうです。


●茅葺きを支えた相互扶助システム

茅葺きの起源は古く、人間が洞窟から出た時点で人類は草で屋根を葺いていたでしょう。そして、古墳時代にも発展したようです。
7、800年前には現在のように、厚みのある茅葺きが民家でも見られるようになったことが、現存する民家(神戸市 箱木の千年家)からわかります。
先に述べましたが、伊勢神宮は1300年茅葺きです。

これは私の見方ですが、茅葺きは3つのステージに分類できます。

    ファースト・ステージ・・・・・・かつての天皇家、豪族、庄屋など、特権階級がつくった茅葺き
    
    セカンド・ステージ・・・・・・・農民など、大衆がつくった茅葺き

    サード・ステージ・・・・・・・・小屋、物置など仮設的につくられた茅葺き



上図のようにピラミッド構造になっています。江戸後期までの時代は、ファースト・ステージとサードステージがほとんどであり、
民衆の住宅もサード・ステージに分類されるほど粗末なものであったと思われます。
江戸の町も、民衆の家は茅葺きが多かったそうですが、りっぱなものではなかったはずです。
現代でも「茅葺きは金がかかる」と言われますが、昔でも同じことで、特定の財力のある階級でないと、
茅葺きは作れなかったのです。
ファースト・ステージでは、その財力と権力で茅葺きを作り、常に民衆のステイタスシンボルであったのです。
江戸時代の後期までは、農村でも、立派な茅葺きは、庄屋さん一軒だけだったはずです。
セカンド・ステージがなかったのです。


▲ ファーストステージの例 重要文化財 坂野家

しかし、江戸時代後期から、明治時代に、茅葺きの大衆化の時代がおとずれます。ステイタスシンボルであった茅葺きが、
民衆でつくられるようになった背景には、相互扶助システムが機能していたことがあります。地域によって、
「結(ゆい)」「講」「頼母子(たのもし)」「無尽(むじん)」など呼び方は様々です。
その方法とは以下のようなものです。
集落の地域住民が約30戸がチームとなり、その中から毎年屋根を葺く家を決めて、そこに各戸割り当てられた茅、縄、労力、
お金を提供するのです。共有の茅場があり、毎年全戸で刈り取り、葺く家に持っていく場合もあります。
つまり、このチームの一員であれば、いつか自分の家が屋根を葺く番がきて、その時には大量の材料や労力の提供が受けられるのです。
ほとんど金銭の負担がかからないのです。

この相互扶助システムは、一種の地域通貨で、利子を必要とせず、地域から生産したものは外部に流失しません。
現代は住宅ローンが用いられます。ローンは利子が発生し、利子を通じて、生産したものが、中央に流失します。

この相互扶助システムによって、江戸後期から明治時代にかけて茅葺きが大衆化し、セカンド・ステージが大きく膨れ上がったのです。
全国に数十万棟あったといわれています。
現代では、ファースト・ステージに分類されるものは文化財となっているケースが多くみられます。
まだ田舎などで見られる茅葺き民家はセカンド・ステージで、この時代につくられたものです。
サード・ステージは仮設的なもので、現在ではほとんど見ることはできません。

 

●茅葺きは「永遠性」を表現している。

茅は、太陽と水と土と空気があれば、永遠無限に毎年生えてきます。
そのことに昔の日本人は畏敬の念を持っていたのです。
一方他の屋根材、鉄、瓦はどうでしょうか。人工物であり、有限なものです。
伊勢神宮が、20年に一回遷宮を繰り返し、1300年も続いたのは茅葺きっだたからです。
現代人は鉄と草を並べられたら、迷わず頼りがいがあり、耐久性のありそうな鉄を選ぶでしょう。
しかし、昔の日本人は、草のように柔らかく、水に弱く、生身のものが、実は鉄よりも永遠性を秘めていることを知っており、
そのことに神秘性を感じていたのです。
日本は四季が豊かであることが一層その思いを強めたのでしょう。
春夏秋冬、田植え、収穫を当たり前のように、単純に毎年繰り返されることを喜び、感謝し、その営みが永遠に続きますよう、願ったのです。
そして、草と同じ生身の弱い人間も、太陽と水と土と空気の恵みを得て、永遠に続きますよう願ったのです。
 
  「この家が永遠に平和で続きますように」
  その「心」が表現された「形」が茅葺きです。

その時、永遠の営みの中に身を置いた時の、安心感、心地よさ、を昔の日本人は知っていました。
そして現代人が茅葺きを見たとき、なんとなく安堵感や、なつかしさを無意識に感じるのは、

  その「形」が「心」を呼び起こす、逆の作用が働いているのです。

石油と鉄とコンクリートの文化は永遠に続くのか?そろそろ現代人は疑問を感じているのではないでしょうか?

 

●茅葺きが表現しているのは3次元マトリックス

 茅葺きは、太陽、水、空気、土といった「自然とのつながり」をX軸とし、相互扶助を通じた「人間同士のつながり」をY軸とします。
X軸とY軸で我々の生きている世界、地球を表し、「永遠性」という時間軸、Z軸を加え、大きな大宇宙を3次元マトリックスで表現しているのです。

 「自然とのつながり」をなくしつつある日本人、「人間同士のつながり」が気薄になりつつある日本人、刹那的な時間を過ごしている日本人。
昔の日本人が表現したこの3次元マトリックスを、現代の日本人が理解しがたいのは当然のことなのかもしれません。


●「箱木千年家」での話

神戸市北区に、最も民家として古いといわれている「箱木千年家」があります。
そこで、箱木さんは無休で受け付けをされておられます。
ここで、箱木さんにお聞きしたお話を紹介いたします。



現在の箱木家は、ダム計画により、水没することになり、現在の位置に移築されました。
ある時ドイツ人が見学に来られ、激怒して帰ったそうです。


    「ドイツで、自国の最古の民家が水没する計画がされたとしたら、その
     ダム計画自体を中止する」

と言って激怒して帰られたそうです。

ある時、フランス人が見学に来られ、同様激怒して帰られたそうです。

     箱木さんは、英語のパンフレットは用意していたのですが、フランス語のパンフレットは用意していなかったからです。

両国とも、 自国の文化を維持することの重要性、自国の文化を失うとはどうゆうことか、よく知っているのです。
なぜか、それは彼らヨーロッパでの歴史は戦争の歴史だからです、侵攻したり、侵略されたり。
しかし、日本人はそうゆう面で、非常に鈍感ではないでしょうか。

●茅葺きは、我々日本人が「幸福」を追求してきた軌跡

茅葺きの家は暮らしやすいか、というと必ずしもそうではありません。
田の字型の間取りは、冠婚葬祭時に重きをおき、現代の普段の生活には不便です。
少しでも他の家よりも大きく、立派に、と見栄の塊でもあります。そのために後の世代は維持が大変です。
そのことが現代において茅葺きがなくなっていく大きな原因であります。
しかし、茅葺きが代表する日本人の「好み、習慣、思想、考え方」が誤りであったのでしょうか?それは我々を含め、後の歴史が決めることです。
茅葺きは昔の日本人が「この家が永遠に平和で続きますように」と願い、創ったものであり、我々日本人が「幸福」を追求してきた軌跡であり、あかしなのです。
その軌跡を「誤りであった。茅葺きは非近代のもの。」と破壊していくことには抵抗を感じます。

  今も昔も変わらないこと。それは人類は「幸福」を追求し、挑戦し続けていることです。
  茅葺きは先輩が残したそのひとつの軌跡なのです。
  我々は、その軌跡に敬意をはらい、学び、積み上げなければなりません。